先日卒業式に行ってきた。
入学式にしても卒業式にしても結婚式にしても、その「何とか式」と言うのはいろいろな人が人前で喋る。
式辞とか挨拶とか答辞とかいろいろとお題がつくが。
多くの場合、畳んだ紙を広げながら読んでいく。
でも、この読み方ってあまり良くない。
何が良くないって、書き言葉と話し言葉がうまくかみ合ってないので、聞いていてココロに響かない。
文字を紙に書いて必死になって話し言葉にしようとしているが、多くの場合微妙な日本語になる。
おいおい、そんな話し言葉はないだろう。
とか、
いやいや、書き言葉にしてもそれはおかしいだろう。
とか。
そんな中、一人原稿を読まずに話す人がいた。その人は市長だったんだけど、その職業柄人の前で話すことが多いんだろうなあと思ったが、人前で話す機会が多いはずの政治家が決して話すことがうまいわけではないと言うことから考えると、素質っていうものがあるんだろうなあ。
原稿のない話しというものの一番のメリットはアドリブが効くと言うことである。そして、その日の市長の話は当日の雨という天気から入り、芸能ネタに入って行くという、聞きながら頭に入りそうな前振りをしていったものだった。
まあ、グローバルなレベルで言うとまだまだなんだろうけど、その後の市議会議長の話に比べても良かったので、まあまあのレベルではないかと思う。
そう、それで話しは戻るが、畳んだ紙に書いたものを読みながら話すのは、ダメなんだという文化が必要ではないかと思う。
紙に書くと言うことは前日までの準備で大変というのはあるけど、話すことを前もって記憶しながら周りの反応を見ながら若干変えていくと言うことの方がよっぽど大変である。
だからこそ、人前で喋る時は、紙など用意せずに前もってもっと努力して頑張れと言いたい。
そういうことが普通になるといいなあと思う。
紙に書かれたものを読むと言うことをパロディにしたのが、有名になったタモリの弔辞。
さすがです。