僕は昔、占い師だったので(3分の2、いや10分の9は嘘です)、占いというものがどういうものであるかは少しは分かる。
漫才師オセロの一方の人、中島知子のことが最近テレビでたくさん出ているらしい。
テレビは、平日ほとんど見ないので本当のことはよくわからないけど、今日の夜のテレビでもやっていたので、きっとやっているのだろう。
ネットの中では、相当に語られている。
語られているけど、僕はほとんど興味がないので読んでいない。
今日の夜の番組では、中島知子の部屋からだろうところから運び出された家具の映像が出ていて、やれ150万だの高いだのと言われていた。
その中島知子の話だけど、日経ビジネスの小田嶋隆がコラムでこういうことを書いている。
占い師による「決断代行」のゆくえ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120223/228752/?P=1
局の側からすると、(中島知子の)レギュラー番組がなくなったことで、中島に関して報道を自粛せねばならない「義理」や「関係」が消滅したということになる。さらに遠慮の無い言い方をするなら、現在展開されている事態は、見る影もなく太って司会業の座から滑り落ちた中島が、伝える側から伝えられる側に、あるいは料理する側から素材ないしはエサの側に、立ち位置を転じた設定の幕間劇みたいなものなのである。
「心配ですね」
と、キャスターは彼女の身を案じる旨の言葉を発する。
「聡明な人なのにどうして」
「私の印象では姉御肌でテキパキしたヒトでしたが」
「やっぱりプレッシャーがあったのでしょうか」
誰も、答えを持っているわけではない。
「だろうか」
「でしょうか」
「なのかしら」
と、スタジオの面々は、疑問文の語尾を列挙することで、お互いの善意を確認する。かわいそうな人間を見てやさしい気持ちになる。これは、そういうゲームなのだ。
占い師の邪悪なマインドコントロールの話が終わると、画面は、いつしか「今日の占いカウントダウン・ハイパー」に切り替わっている。
「きょうの12位わぁ、ごめんなさぁい、天秤座ですぅ」
と、女子アナが心持ち小首を傾げた姿勢で、スレンダーな魅力をアピールしている。
スタジオは、悪い占いの話を終えて、良い占いのための時間に戻ったわけだ。
そうなんだなあ、これほどに占い師のことを悪様に語った後に、占いコーナーが普通に流れていて、それを、視聴者はおそらく楽しく見ているわけだ。
占いって多くの人が好きで、たまに、朝のテレビの星占いが何だったとか言ってることを会社で聞いたことがあった。
このコラムの中ではこういうことも書かれている。
「人間関係で悩んでいますね?」
手相見の第一声はだいたい決まっている。
私は、このことを本で読んで(遠藤周作が何かのエッセーで書いていた)あらかじめ知っていたので驚かなかったが、予備知識の無い人は、
「うわっ、当たった」
と思ったかもしれない。
違うのである。普通に考えて、人間関係で悩んでいない人間なんてほとんどいないわけで、とすれば、この診断は、まず間違いなく的中する。それだけの話なのだ。
「悩んでません」
と答えると、手相見(←駅前でアミを張っている宗教団体の勧誘)は、
「仕事のことで悩んでいますね」
と言う。
「うひゃあ、当たってる」
と思ってはいけない。仕事のことで悩んでいないのは、子供だけだ。こんなものは占い以前の詐術に過ぎない。
そう、10分の1占い師だった僕は、そうそう確かにその通りだと思う。
だいたいが、多くの人が悩んでいるところから押さえにいって相手の顔を見ながら離していくので、多くが当たってしまう。
お金を払って占いをして貰う人が、何も悩んでいない事なんてことはなくて、悩みのベスト3ぐらいを言うと、ほぼ当たってしまう。
きっと、そんなことは占いをうける人も分かっているんだろうけど、なにか助言がほしいのかなあと思う。それも自分が思っている助言が。
まあ、それならいいかとは思うが、あまり、テレビで占いだのスピリチュアだのはやらないほうがいいとは思うんだけど。
公共の放送使って、そういう科学的根拠がなくて、最悪人を惑わすようなことは、やめた方がいいのではないかと思うんだけどなあ。