最初この本を手に取ってタイトルを読んだとき、西鉄ライオンズの間違いじゃないのか?とか、そもそもがフィクションなのか?と思ったのでした。
プロ野球は昔から見ていて、これまで消えた球団も結構知っていると思っていたわけですが、ライオン軍と言う球団があったことなんて知らなかったのです。
物語は、戦前の職業野球草創期から始まります。
並行し、小林商店ができるまでも描かれます。
野球は戦前から人気のあったスポーツでしたが、その頂点にあったのは大学六大学野球でした。
つまりは、プロは蔑まれていたわけです。
いまやスポーツのプロ化は当たり前ですが、ほんの20年前ぐらいは、一部のスポーツ以外はプロは認められていなかったのでした。
陸上だって、高橋尚子と言う選手が出てきて、プロが認められるようになったのです。
戦前の野球。
それを職業として成立させることを、日本の中でやることを考え実行していった人は、ただただ凄いのです。
今、成功をしっているので、それは必然だと思うかもしれませんが、ここまで来るのは大変だったわけです。
当初、職業野球の球団を持ったのは、新聞社とか鉄道会社とか社会のインフラを担う企業だったのです。
目的は、新聞の購読者を増やすこととか鉄道の乗客を増やすことと言う、直接的な影響です。
この広告媒体を初めて使おうとした一般の企業が、小林商店です。
小林商店は、今はライオン株式会社になっています。
そう、ライオン歯磨きです。
ライオン歯磨きの広告として、職業野球に投資します。
それまで、楽隊広告とかの新鮮な広告を行ってきた小林商店。
テレビとかラジオのない時代。
地方地方を回り多くの人の目に留まる広告に目をつけ実践してきたのが小林商店です。
その延長線上にあった職業野球。
また、野球をやっているほうも資金が枯渇していきました。
大東京軍。
両者の利害が一致し小林商店は広告を出すことになります。
それも当時としては破格の金額で。
投資はするが、野球の采配には一切口を出さないという、球団が一番望む方向で。
大東京軍は、ライオン軍と改称します。
最初、ライオン軍は非難を浴びます。
物売りが!とかそういう非難を。
小林商店の必死の広告活動が認められ、それから選手の一生懸命さを認められ、弱いながらも人気のある球団となります。
ところが、戦時下になります。
多くの人が知っているように、敵国としての英語が禁止されます。
それは、ライオンと言う言葉にも及びます。
ライオンは、日本中誰でも知っている日本語だろうと言う反論もかき消されます。
この英語禁止。
相手に勝つにはまず相手のことを知ってと言う、昔から言われていた常識からすると、なんと戦前の軍隊はあほな統制をしたんだろうなあと思います。
こういうのは、教訓なのでしょう。
さて、こうしてみると、ほぼ日本中のカタカナが駆逐されたのでしょう。
ライオン軍は、朝日軍になりました。
ライオン歯磨きの広告ができなくなった小林商店。
最後の最後に反撃をします。
野球の招待券の裏側にライオンの言葉を入れます。
この抵抗は、筋の通ったものです。
企業として、はぐくんできたライオンと言うブランド。
他の企業が名前を変える中、最後まで変えなかったそうです。
ライオン軍があった3年半。
7回のシーズンがありましたが、最高が5位。
ほとんどが最下位か下から2番目でした。
プロ野球の創成期と広告のあり方についてを考察できる書籍となっています。
それから、信念とはこういうものなんだなあと思わせてくれます。