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徳川と豊臣の戦いは、簡単に徳川の勝ちになったわけではなかった。真田丸の大坂冬の陣

豊臣秀吉が亡くなり、一気に時代は徳川時代になったような気がしていました。

ともに表向きは豊臣家臣の戦いだった、関ヶ原の戦い。

ここで勝った徳川家康は、手練手管で豊臣家を絞めていきます。豊臣恩顧の大名も地位を失っていきます。

もう時代は簡単に徳川に行ってしまっても良いのに、大坂冬の陣まで両者の拮抗は続きます。

 

真田丸。

 

大坂冬の陣が描かれます。

大阪側は、全く一枚岩ではありません。中枢には、徳川のスパイとなった織田有楽斎がいます。彼の言葉で大坂方はグタグタになっていきます。もしも、大坂方が籠城戦を取らなかったら、豊臣家の滅亡はなかったかもしれません。少なくとも、大名として残っていたかもしれません。

そのぐらい、まだ徳川の時代が約束されていたわけではなかったのでした。だから、あれほど浪人が集まってきたのかも知れません。

惜しいのは、豊臣家に戦略を指揮する武将がいかなったことです。真田幸村がいたのではないかと言うのは、間違いです。彼は、真田丸を守る一武将でしかありません。豊臣家の中枢は他の人物で仕切られていますし、何といっても淀姫の意向が強すぎました。所詮は、寄せ集めでしかなかったわけですし、徳川への忠功を誓った人物までいたわけですから、勝つわけはなかったのでした。でも、そうはいっても、もう少し違ったら歴史は変わったのかもしれません。

 

豊臣秀吉と言う人物は、日本史上最大の人たらしです。その人たらしにあうと、思いっきり好きになります。で、秀吉公のためには何とかしたいと思います。

 

おそらく、その時代、秀吉と家康と、どちらがそういう武将がいたかと言うと圧倒的に秀吉だったと思います。それくらい、豊臣秀吉と言う人は凄かったのです。

 

だから、関ケ原から17年も豊臣家は生き続けたと思うし、それをなくすまで徳川家康は生き続けたのではないかと思います。

 

真田丸。大坂冬の陣序盤では圧勝します。この勢いで進めばよかったのに、歴史は残酷です。