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天草四郎は、豊臣秀吉の末裔

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古代文明ミステリー

帰ってからテレビをつけたらやっていたので、見てしまった。

どうも歴史物が好きです。

 

大阪夏の陣で滅んだと言うのが定説の豊臣家。

豊臣秀頼が、大阪城で亡くなったというのが、去年放送された真田丸でもやっていました。

ところが、秀頼の亡骸は出ていないそうです。

そう、織田信長のように。

 

それで、秀頼は生きていたのではないかという仮設が成り立ちます。

 

落ち延びた先は、薩摩です。そこには、秀頼の墓と言われているものがあります。

江戸時代前半の大きな乱が、島原の乱です。

キリスト教徒による乱だと言われていますが、中心人物である天草四郎は、この時16歳です。そして、天草四郎の系譜が実はよく分かっていません。

どこの誰だか分からない、わずか16歳の男子を主と仰ぎ乱が成立するなんてことは、普通は考えられません。

 

島原の乱では、なんと馬印として、金の逆さ瓢箪があったそうです。

これは、豊臣家の馬印です。

 

で、ここで、こういう仮設が成立します。

 

天草四郎は、豊臣家の末裔だったという。

 

キリシタンの反乱としては、島原の乱の天草四郎軍は強すぎました。

なんで、強かったということも物語になります。

 

豊臣家の末裔が、指揮を取っていると分かった幕府軍は総攻撃をかけ、場内にいる老若男女も含めすべて殺戮します。ここまでやらんでもいいんじゃないのかと言うぐらいのことをやります。

これも、徳川家にとっての、対豊臣家への最終戦争だったからという仮設にたどり着きます。

 

歴史って、面白いです。