批判:物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。
非難:相手の欠点や過失を取り上げて責めること。
似ていて非なる言葉です。
僕は、こうやって書くときは、批判はあっても非難はしないようにしようと心に決めていたりするのですが、いつの間にか単なる悪口になっていたりします。
どうしたら、これが批判になるのかと思うのですが、難しいのです。
【日本代表】W杯開幕まであと3週間。現実的に考える岡田監督解任と後任人事
ここ数日盛り上がっている岡田監督に対する記事の一つです。この記事は、かなり辛辣なことが書かれていますし、言葉も暴力的なjところもあります。ですが、避難というようには見えないのです。
信頼だのなんだのと上っ面だけの言葉を並べ、ずっと監督を代えずにきた結果、このざまである。
それどころか、「前半は守備的に戦って、後半ボールを回せる選手を入れるような戦い方も、視野に入れなければならない」などと、耳を疑うような発言の連発。
揚げ句に、壮行試合恒例である試合後のサポーターへのあいさつもせずに、逃げ帰ってしまうのだから、もはや代表監督としての資格はない。
だいたい、中途半端に「責任問題」を口にする理由が分からない。自分だけが批判の矢面に立つのを恐れて、「自分は辞めるつもりだったが、会長に慰留されました」とでも言いたかったのだろうか。本当に責任を感じているのなら、四の五の言わず、とっとと辞めればいい話だ。
さらに言えば、翌日になって「冗談のつもりだった」で事態を収拾しようとするセンスも理解できない。冗談であろうとなかろうと、どちらにしても火に油を注ぐ、最低の言い訳である。
ここまで書いているわけすが、とても心地よく感じてしまいます。
これってなんでしょうかと思います。
きっと、批判をするだけの経験則とかがあるからかと思います。
これを書いている人は、それだけサッカーの試合を見ていて、もしくは他のスポーツでもちゃんと批判しているからわかるのだと言う感じかも知れません。
先日取り上げた、小田嶋隆さんは、書き方だけを見たらここまで辛辣ではないですが、書いていることは似たようなことです。
僕は、文章の最後に注目します。
岡田監督解任と後任人事を書いた浅田真樹さんの最後は、こうなっています。
例えば、コーチの大熊はFC東京での監督経験の他に、U−20代表を率いて、ワールドユース選手権で神がかり的な勝利を手にしてきた実績もある。
このまま岡田に任せるくらいなら、大熊に舵を預けてみるのも悪くない。
ちゃんと代替案が語られています。
小田嶋隆さんは、以前書いたように、監督はトルシエ、負けたら味噌汁で顔を洗えです。
ちゃんと代替案が語られていることが、この文章を非難と捉えられないようにしています。
経験則はあまりないので、批判の記事を書くときは、少なくとも代替案を出そうかと思います。
でも、難しいですね、人を不快にさせない批判は。