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もっと冷静になって地球温暖化を語りましょう。

鳩山由紀夫首相が掲げる2020年までに温暖化ガスを1990年比で25%削減するとか、最近は地球温暖化に対して、ヒステリックになっているようにも見えますが、もうちょっと冷静にならないといけないのではないでしょうか。

いろいろな対策が語られて、さも何でもかんでもやらないと地球はもう終わってしまうような感じですが、日本の財政から考えてもどれでもできるわけではありません。
費用対効果が一番高いものは何かを論じていかないと、今の人にとって余計な負担を強いるだけで実は将来に対してほとんど役に立たなかったなんて言うこともあるのではないか。

そう言う危惧に対して本書「地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す」は書かれています。

いくつかを抜粋していきます。


地球温暖化に関する論争が、ぼくたちの世代の使命をめぐる論争だという点ではアル・ゴアは正しい。要するに、今後40年で、ぼくたちは何を実現したいんだろうか?
地球温暖化は起きているし、その影響は重要だしほとんどがマイナスの影響だ。暑さによる死者を増やし、海面上昇を引き起こし、もっと強い台風をもたらすかも知れず、洪水も増やす。マラリアを増やし、飢餓や貧困を引き起こす。こんな被害一覧を見せられたら、数多くの環境団体や政治家が、地球温暖化を何とかすべく行動しなければと結論づけるのも無理はない。
でもこの分析の問題点は、それが単純ながら重要な点を見落としているという点だ。CO2を削減したところで−それも大量に削減したところで−いま挙げた問題一覧にはほとんど影響しない、ということだ。ホッキョクグマから貧困まで、本書で一貫して見たとおり、気候政策ではほとんど何もできず、他の社会政策でならいろんな効果があげられる。
もしぼくたちの懸念が、2003年のヨーロッパの夏の熱波のような気候の影響で人々が死ぬことなら、なぜ高価なCO2削減なんかをやろうとしているのかを考える必要がある。削減策は、よくても未来の世界が温暖化するのをちょっと遅らせるだけで、暑さによる死者は相変わらずだ。さらに、温暖化は寒さによるずっとたくさんの死者を防ぐんだから、どうして温度による死者数をわざわざ増やすような高価な政策を検討なんかしているのか、よく考えなきゃだめだ。
そして他の社会政策は、寒さによる死亡を減らすという地球温暖化のいいところも享受できる一方で、都市に水まきをしたり、公園を増やしたり、白く塗ったり、エアコンや医療を手に入りやすくすることで、数は少なくても増加する暑さによる死者も減らせる。そしてこっちのほうがけた違いに安上がりで、ずっと成果も挙がる。そっちの方がぼくたちの世代的な使命として望ましくはないだろうか?
  

(略)

国連の最も楽観的なシナリどおり、大規模な炭素排出を削減できたら、今世紀いっぱいで34センチだった海面上昇は22センチに減る。でもそれにより人類は2100年時点で手にするはずの豊かさが減ってしまうので、個人の平均的な富は30%も低くなる。いちばんたくさんの陸地を失うミクロネシアは、国土の0.6%を失うことになる−海面があがっても豊かな世界なら、その3分の1ですむのに。本当はそんなのをぼくたちの使命にしたいだろうか?

(略)

ぼくたちは、気候変動という「でっかいつまみ」に夢中になって、このつまみさえ回せば、世界中のその他すべての問題も緩和できるという説を鵜呑みにしてしまっている。でもこれは明らかに間違っている。
CO2は地球温暖化を引き起こすし、それは重要なんだけれど、CO2を削減しただけでは世界の大半の問題にはほとんど影響がないと言う事実に直面しなきゃいけない。ホッキョクグマから貧困まで、他の政策のほうがずっと成果をあげられる。

(略)

早めに大量の炭素削減をしても、高くつくし、むずかしいし、政治的にも対立を招くし、おそらくは気候にほとんど影響も与えず、社会的には実質的に何の違いももたらさない、ということは認識しよう。さらに、そんなものに注目すると、世界や環境にとってもっとずっと多くの成果を挙げられるような、他の多くの手段を見失ってしまうかもしれない。

(略)

なんのかの言っても、CO2削減が20ドル/トンかかるなら、先進国は高価でも多少の削減を−見栄にしても−やってくれるかもしれないけど、中国、インドなどの発展途上国がのってくれるとはまず考えられない。気候変動と取り組むために必要なのは、この費用が劇的に下がるようにすることだ−CO2が、たとえば2ドル/トンで削減できるなら、みんな話にのってきて大量の削減が期待できる。
だからこそ、気候変動へのずっと適切な対応は、炭素を出さないエネルギー技術の研究開発に対する世界的なコミットメントだ、とぼくは示唆している。ますます厳しい基準を強制するポスト京都議定書なんか、甘い考えで目指してはいけない。経済的な費用は高くて、便益は低く、政治的な参加も心許なく、21世紀を切り抜けるための新エネルギー技術を見つけるという根本的な問題にも応えられないんだから。

(略)

なんでもかんでも地球温暖化のせいにされてしまう点について、昔のよい例が1997〜1998年にアメリカがエルニーニョに出くわした時のことだ。ちなみに、いまならだれもエルニーニョのことなんか特に心配しない。でも1998年には、それはみんなの感心をしっかりとらえていた。アル・ゴアは絶えず、地球温暖化がエルニーニョを悪化させていると言い続けていた。間もなくエルニーニョはありとあらゆる気象現象を結び付けられるようになった。ワールドウォッチ研究所ですら、いささか呆れたように、「1998年を経るにつれて、天気関連の報道でエルニーニョに触れていないものはほとんど見つからなくなった」と述べている。ぼくたちは各都市がどのように「今世紀最大の天候事件に備えようとしているか」を知らされたし、「奇妙な天気」を果てしない問題一覧についても聞かされた。



確かに、エルニーニョって今は誰も言いませんね。
いつの頃からか、ぱたっと聞くことがなくなりました。
この地球温暖化もいつの日か誰も言わなくなったりして・・・・

ただ、エルニーニョと違うことは、この温暖化対策が日本国民に負担を強いようとしていることですね。


(略)

『アメリカ気象学協会紀要』の最近の研究記事は、エルニーニョの問題全てと恩恵全てを網羅しようと試みた。そしてカリフォルニアの嵐や作物への被害、政府による救済措置の費用、竜巻からくる人的・経済的損害は確かに現実のものだけど、これは一方的な話でしかないと報告している。一方では暖冬のおかげで凍死は850件ほど減り、暖房費用もかなり節約され、春の洪水被害も減り、高速道路や航空輸送のコストも減った。さらにエルニーニョを大西洋のハリケーンとの関係はよく知られているいるけれど、これは1998年にはっきりとした効果を見せた−アメリカはこの年、大きなハリケーンを一つも経験せず、おかげで多額の損害が回避された。
損害総額は約40億ドルと推計される一方、便益総額は190億ドルと推計されている。ところが、悪いニュースばかりがメディアで報道されているために、一般読者や視聴者としては、エルニーニョが全体としてアメリカにとって有益だったという印象は受けていない。

(略)

「おそれ、恐怖、災厄」がたくさん言いふらされている-いわば演出付きの絶叫みたいに。ぼくたちはもっとまともで事実に基づいた政策対話に移行しなきゃならない。ちゃんとお互いの議論をきいて、その長所についてまともに議論し、長期的な解決策を見つけなきゃいけない。おそらくぼくたちの目標は、単に炭素排出を削減することそれ自体ではないはずで、人間や環境にとってよいことをするのが目標であるはずだ。
はい、気候変動は問題ではあるけれど、でもそれは絶対にこの世の終わりなんかじゃない。海面は今後1世紀で30センチぐらいは上がるだろう−それは過去150年の上昇分と同じぐらいだ。問題ではあるけれど、ものすごい危機ではない。


最後の京都議定書に代表される温暖化対策によって得られる効果とその費用とその他の方法で行った場合の費用と効果です。

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この本、ビョルン・ロンボルグの「地球と一緒に頭も冷やせ!」は、2008年7月に初版発行。本編だけで272ページしかも上下2段構成となっています。読み切るのが結構大変ですが、今ちょうどヒステリックになっている日本の温暖化ガス対策が、本当にそれでいいのかと考える題材にぴったりなのではないでしょうか。

環境税とか電力買い取りとか、今の世代に負担をかけるようなことをやりそうな勢いですが、お金のかけどころが違うのではないかと思うのですが・・・


地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す
地球と一緒に頭も冷やせ! 温暖化問題を問い直す
山形 浩生

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