大学生の頃、一度出雲大社に行った。3月ということもあり曇っていて、空が低く寒いなあという記憶がある。その当時、ボクは今ほど神社と言うものに対して知識はなかったので、この出雲大社も単に少し大きな神社ぐらいしか感情は持っていなかった。
その島根にある出雲大社は、今年2008年、4月21日(月)〜4月23日(水)、4月26日(土)〜5月6日(火)、5月13日(火)〜5月18日(日)の期間、御本殿の特別拝観を行いました。
60年ぶりに本殿拝観ということで大勢の人が来たようです。
ボクは、今日までこのことを知りませんでした。
出雲大社は、出雲大社のWebサイトによると、
『日本書紀』の記録によると、大国主大神はこの国づくりの大業が完成すると、日本民族の大親神である天照大御神に、その豊葦原の瑞穂国をお譲りされたとあります。天照大御神は大国主大神の私心のない「国譲り」にいたく感激され、大国主大神のために天日隅宮(あめのひすみのみや)をおつくりになり、第二子である天穂日命を大国主大神に仕えさせられました。
出雲の国は、神の国、神話の国として知られています。その“出雲の国”には、今もなお古の神社がいたるところにあります。そして、その中心が「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をおまつりする出雲大社(いづもおおやしろ)です。
陰暦の十月のことを神無月といいます。これは全国の神々が出雲の国に集まられ、神々が留守になられるからです。反対に出雲では、神々がお集まりになられるので「神在月(または神有月)」といいます。
と言うようなことが書かれています。
そうねんですね、10月が日本全国神無月ですが、出雲大社のある島根だけは神在月なのです。思い出しました。日本中の神々が出雲の集まるのです。
これは、出雲大社が神の中の神と言う事を言っているんでしょうね。
日本に住んでいると、普通に感じますが、日本には多くの神(八百万の神(やおよろずのかみ))がいると言われています。これは世界的に見たら不思議なことで、キリスト教にしてもユダヤ教にしてもイスラム教にしても神は一人(ひとつ?)しかありません。
そんじょそこらに神がいる(失礼!!)日本と言う国は不思議な存在なのですね。
さて、日本の中の神の中の神が出雲大社と言うことを読んで、「え?それはないだろう」と言うあなたは、鋭い。
日本には、天皇家と言う神がいます。日本の中では、天皇の祖先が神の中の神であるはずなのに、出雲大社がそうなのはおかしいのではとなりますね。
出雲大社のサイトの言葉に、
大国主大神はこの国づくりの大業が完成すると、日本民族の大親神である天照大御神に、その豊葦原の瑞穂国をお譲りされたとあります。
と言うことで、国を譲ったわけですから、今の天皇の祖先の祖先「天照大御神」と出雲大社に奉られている「大国主大神」は親戚関係でもなんでもないのですね。
井沢元彦が書く逆説の日本史〈1〉古代黎明編では、出雲大社は大国主大神の怨霊を封じこめるために建てられた鎮魂の建物と書かれています。
出雲大社松山分詞のサイトには、出雲大社の本殿平面模式図があります。
ここの絵をちょっと拝借させてもらいます。
この絵で言うと、参拝者は南の方から神様を拝むのですが、拝むべきご神体は西を向いています。とすると、参拝者は神様の左顔を拝んでいることになります。
で、前を向いているのは、御客座五神と言われる神様たちです。この御客座五神体がご神体である大国主命が出てくるのを防いでいるのではないかと言っているのですね。
つまり、大国主大神の怨霊を封じこめるための牢獄と言うわけです。
御客座五神体は、天之常立神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、神産巣立日神、高御産巣立日神、天之御中主神と言って、全て天照大御神の関係者です。
出雲大社のアクセスガイドにありますが、神社での参拝の作法は、二拝二柏手一拝が一般的であるが、出雲大社では、二拝四柏手一拝で拝礼を行います。
日本の神社で二拝四柏手一拝を行うのは、ここ出雲大社と大分にある宇佐神宮だけです。四=死をイメージする不吉な数字と言われているものをあえて使う神社と言うわけです。
と言うことからも、この出雲大社は普通の感覚では語れない神社であると言うわけですね。
逆説の日本史〈1〉古代黎明編―封印された「倭」の謎 (小学館文庫) 井沢 元彦 小学館 1997-12 売り上げランキング : 12481 Amazonで詳しく見る by G-Tools |