Bookrock

おもしろく こともなき世を おもしろく

パソコンで失ったもの

今日はいろいろな誘惑をはねのけて真っ直ぐ家に帰った。

誘惑とは、つまり金曜日なわけで、真っ直ぐ帰るというのはちょっともったいなくもあり、飲んで帰ろうかなという気持ちがほとんど。

しかし、今週の僕はとても疲れていたわけで、家に帰って寝なければいけないという理性が勝ったと言うことだった。

電車の中では珍しく寝てしまい、そうだなあ疲れているんだなあと自らも納得してしまった。

最寄り駅に着くと、雷とともに土砂降り状態になっていた。今日、雨が降るって誰か言ったっけ?と12時間前の天気予報を見たい気になったが、そういうものをどうやって見たらいいのか分からなかったのでやめた。


小田嶋 隆さんの今回のコラム、私がiPadを買うべきでない理由で妙に納得することが書かれていたので引用する。
 

何かを選ぶことは、何かをあきらめることだ。
 たとえば、iPadを買うために、私はなにがしかの節約を余儀なくされる。洋服なのか自転車の部品なのか、食事になるのかはわからない。いずれにしても、無限の財布を持っていない以上、帳尻は合わせなければならない。
 時間は経済よりもさらに有限だ。ツールやガジェットが増えても、一日が24時間である事情は変わらない。

 ということはつまり、iPadを入手した人間は、自分でも気づかないうちに、何らかの習慣や選択肢を捨てることになる。必ずそうなる。
 たとえばそれは誰かと会う機会、散歩の習慣、思索の時間かもしれない。

 もっともありそうなのは「何もしない時間」が失われることだ。
 電車の窓から外の景色を眺めながらぼんやりと考えを遊ばせる時間。
 待ち合わせに遅れてくる相手を待つ間、ホテルのロビーに集っている人々を余儀なく観察する時間。
 そういう、手持ちぶさたな時間が、根こそぎiPadに吸収されるのだとすると、これは、問題だぞ。


そう、僕にとっては、こういうことは既にパソコンを日常的に使うようになってからの毎日であり、携帯でサイトを見たりメールをしたりすることで、それは外でも起こるようになった。

このブログだってそうだ。ほぼ毎日更新していると言うことは、何かを犠牲にしていることであり、それは、夜のテレビドラマだったり、ニュースだったり、撮りためた番組・・・テレビばっかりだったりしてそれなら大した犠牲ではないかとも思うが。

きっと、睡眠時間なのかもしれないとは思う。

i-modeはもっと顕著で、本を読む時間を相当に削られてしまっている。

電車からは外を見ることもないので、景色が全く思い出せない。もう何年も同じ電車を使っていてもだ。


と、言う事で話しは戻る。

朝の天気予報を夜見ることはできないのだろうか?
もし、できたとしても、それはなんにも役にはたたないと思うけど。