ドーハの悲劇(ドーハのひげき)は、1993年10月28日、カタールのドーハで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合(1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選の日本代表最終戦)において、試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ゴールが入り、日本の予選敗退が決まった事を指す日本での通称である。
最初に「ドーハの悲劇」というフレーズを使ったのは夕刊フジと言われている。日本でのテレビ中継(地上波)はテレビ東京が行い、視聴率は日本時間では深夜帯にも関わらず、同局史上最高の48.1%を記録した。実況は久保田光彦アナウンサー、解説は前田秀樹。テレビ東京のスタジオにはゲストとして日本代表主将・柱谷哲二の実兄である柱谷幸一がおり、試合終了後、スタジオに画面が戻ってきても頭を抱えて何も言う事の出来なかった。岡田武史は、NHK BS1の解説で試合後言葉に詰まっていた。
Wikipediaより。
ドーハの悲劇から15年も経っています。
実は、ボクも放送を当然のように見ています。
あの当時はボクも熱かったのです。サッカー観戦。
日本が始めてワールドカップに出るかも知れないという試合でした。今は、出て当たり前のようになっていますが、出ることだけでもお祭り騒ぎだったのです。
ジュビロの中山がひっくり返ったのは、今も鮮明に覚えています。今もと言っていますが、おそらく何度も再放送されていますから、それを覚えているだけかも知れません。
始めて、ワールドカップに近づいて、一瞬で遠のいた瞬間でした。
それが、あまりにも鮮明なのでああいう戦い方をしてはいけないとなってしまったのです。
あんな戦いとは・・・・・
勝っている試合で守りに入ると点を取られてしまうと言う先入観です。
守りに入って点を取られるなんて言うことは、きっとほとんどありません。守って守って守るんですから、そういう相手から点を取るのは大変です。
守るとは言っていても二人ぐらいは前線に残しますから、カウンターが怖くて、攻め一辺倒にはできません。
テクニックのある日本人は、守ることがもともと得意だと思います。
格下のところでさえ守りに入ると点を取るのは大変です。
なら、テクニックのある日本は、守ることは簡単なはずです。
ところが、これができません。
勝っていて、後半の30分過ぎても、「引くな、引いたら点を取られる!!!」と言われ続けます。
そんな放送見ている若者は、引いてはいけないと思ってしまいます。
どんなときでも、引くのは卑怯、引いたら負けると洗脳されます。
そのくせ、格下の相手に負けるときは、「相手がずっと引いてたから点を取れなかったのですね。もっと、右に左にかき回さないと。真ん中ばかりいっていたらシュートコースはできません。カウンターに気をつけないから点を取られるんです。」
なんてことを言われます。
なら、それと同じことを日本チームはやればいいのに、それができないのです。
なぜなら、ロスタイムにフォワードまで引いて守ったら点を取られて引き分けられてワールドカップに行けなかったドーハの悲劇があったからです。
サッカー後進国だった日本の歴史を作ってしまった、ドーハの悲劇だったのです。
でも、これはないですね。
普通に確率の中で戦術選びましょうね、これからは。
守ったところで点を取られるときは取られるので、それを過大にマイナス評価しないことです。