Bookrock

おもしろく こともなき世を おもしろく

哀しいけど、その通りだと思う「ビートたけしは賞味切れ」

ず〜っっとそう思っていた。

ビートたけしは、どこが面白いのか?

土曜日の夜にやっている報道バラエティ。
ギャグらしきものをやっているが、共演している出演者のひきつったような、無理な笑い顔。

というふうに僕には見えた。

でも、もしかして、笑いのセンスが僕にはないのかと思ってもいた。

そういうことをずっと思っていたけど、そういう感情を忘れもしていた。


たけしはとっくに賞味期限切れ
http://news.livedoor.com/article/detail/6646357/

ビートたけしが笑えなくなってから、どれくらいが経つのだろう。もうほとんど期待はしていない。見ているのが辛くさえある。しかし、世間はそうではないようだ。

特にTBSがそうだが、スタジオの面々は、たけしが何か言うと、酸欠になりそうな勢いで笑っている。ご苦労なことだと思う。

ビートたけしは、もうちゃんと話すことが出来ない。1994年のバイク転倒事故で顔面がマヒして以来、口がゆがみ、言葉がまっすぐ出なくなっている。それが年齢とともにさらに不自由になっている。もともと口跡は良い方ではなかったが、タイミングよく言葉を発することには長けていた。しかし、そうした「芸」も、はるかな昔である。

今は、“面白そうなことを言いそうな気配”さえ、無くなっている。

それ以上に悲惨なのは、「笑いの感覚」が、磨滅してしまっていることだ。

(略)
 

では、なぜビートたけしは、今もテレビの向こうに存在し続けているのか。

一つには、北野武の影響がある。ビートたけしは、北野武という映画監督、芸術家という顔を思っている。単なる芸人でも、MCでもなく、世界に通用するアーティストが、身をかがめて卑近なテレビに出ている、という「お値打ち感」で、人はテレビを見てしまう。ブランドなのだ。

北野武の映画の多くは、頭から尻尾まで、ちゃんと鑑賞できるような代物ではない。確かにシーンを切り取ってみたときに、斬新だったり、面白かったりすることもある。しかし、一品料理として食えたとしても、コース料理としては辛い。

西洋人は、アジア人の作品を勘違いして評価することがしばしばある。特にフランス人はそういう傾向にある。彼らの勘違いが、北野作品を「世界的傑作」にした。レジオンドヌールまで与えてしまった。

しかし、日本で興行的に成功した映画は「座頭市」だけだ。「凄い芸術作品だ」と言う評判はあるが、お客を満足させてはいない。



この記事を読んで、そうだよなあ。
面白くないと思っていたのは僕だけではないことに気がついた。

昨年の年末にやっていた、The Manzai
そこでも、たけしは中心的出演者として出ていたけど、病人というか老人というかに扮していたところも痛々しかった。

もうちょっと普通のお笑いの人として出るのは、無理ではないかとも思う。

こんなこと書いてるけど、僕は別にお笑いに詳しいわけではないので、たんなる感覚としか言いようがなくて、多いな勘違いをしていることも十分考えられるけど、ここずっと、たけしがしゃべっていたり、演じたりすることを笑ったことがないことも事実で。