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零(ゼロ)ってすごい。

昨日書いた「雨がつく漢字の由来」というエントリー。

何気に「零」と言う漢字の由来を書いたが、ゼロって言うのはただならぬ概念だなあと改めて思った。

ゼロと言うのは、言わば「無」。何も無いということ。

何も無いということは、そこには全く見えないものであり、見えないものを概念付けるなんて、すごいことをしたもんだなあと思った。

今は、小学校の授業で0と言うのを教えられるので、普通に自然に頭の中に入っていっているが、考えていけばいくほど不思議な概念である。

みかんを指さして、これいくつ?

と聞かれて「ゼロ」と言う答えはない。

指さしたところには、みかんがあるはずであり、その答えは必ず「1」とか「5」とか「19」とかの数字である。

必ず”ある”ものしか数えなかった世界に、見えないものが交じるのはいつかと考えて言ったら、それはおそらく引き算ができた頃ではないかと思う。

5から5を引いたら何もないと言うことを表す数字が必要になってきたのではないかと。

と、そんな適当なことを書くのもなんなので、Wikipediaから。

0 の起源
「無」を表す「0」を数の対象として考える概念の発生は、数学上の飛躍的な進歩の過程の一つと考えられている。
バビロニアマヤ文明では、位取り記数法で空位を示す記号としての 0 が使われていた。バビロニアを含むメソポタミア文明は六十進法、マヤは二十進法を用いており、それぞれで位が 0 であることを示す独自の記号が発明された。しかし 0 そのものを数として扱ってはいなかった。
一方、古代エジプト文明では 0 の存在を知っていたが発達せず、それを表す記号もなかった。0 を四則演算などで扱うと矛盾が生ずるので、無理数同様、受け入れられなかった。
130年、プトレマイオスがギリシア文字を用いた六十進法の表記において、0 を導入した。記録に残っている最も古い、数としての 0 である。ただしプトレマイオスが 0 を用いたのは分数部分(分、秒など)だけであり、整数部分(度)には使わなかった。
その後、インドで数としての 0 の概念が確立された。ブラーマグプタは、628年に著した『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』において、0 と他の整数との加減乗除を論じ、0 / 0 を 0 と定義した以外はすべて現代と同じ定義をしている。そしてこれが世界に広まっていった。


インドで0の概念が確立された。その昔から0はあったのですが、なかなか受け入れられなかったのです。

そう、0はなかなか受け入れられない概念なのです。